元球界スターの事件が世間を賑わしてる最中のようだが、
彼と同学年である私は、同世代の代表として幾度となく彼の名を使わせてもらっていた。
今までありがとう。そしてこれからも使うでしょう、よろしく。
彼のニュース映像が連日流されているのでなんとなく眺めていたら、
彼がまだ球界に入りたての頃に“流行語大賞”を受賞していたと知った。
その流行語は「新人類」。
彼が作り出したものでもなく、流行らせたものでもないが
ある世代のことを指すこの単語の代表的人物、時の人として彼が選ばれたようだ。
そういえば思い出した。
上の世代の人達からそういわれた事があった。「この新人類め。」
明確な定義などわからないので、とりあえずウィキペディア。
やはり定義的にはかなり曖昧なようだが、どうやら1961年から1970年生まれくらいを指すらしい。
具体的にどんな特徴をいうのか正直読んでもピンとこなかった。
自分が新人類と思った事はなかったが、
ふと某元選手を初め、最近にわかに世間を賑わす気になる人たちのことを思い起こした。
聴覚障害疑惑の某作曲家(1963)
号泣元県議(1966)
いろいろ詐称外人ぽい経営コンサル(1968)
エンブレムパクリ疑惑デザイナー(1972)
・・・なんか面白いな。
もちろん他世代の話題の人たちも順調に排出されてる今日この頃だが、
こうして同世代と言える方々だけ並べてみると、
何やら本質的な要因が似てるような気がしてきた。。。
虚像、地位、嘘、名誉、裏の顔。
そんなキーワードが頭に浮かぶ。
人騒がせだが悪人としては小物。
みなきっかけは小さな嘘や見栄なのかなと想像してしまう。
私も社会的には大人になり、社会のいろいろな仕組みを知ってきて、
今こうして、良くも悪くも様々な情報が行き交う場で仕事をさせてもらっているが、
実は結構前から、その社会の仕組みが意外にハリボテ、脆弱に出来てると肌で感じるようになっていた。
国家論レベルになると到底私が述べられるものではないけれど、
少なくとも地域レベルだと、思ってたイメージ以上に
“なんとなく”や“誰かの都合で”社会の仕組みができてると感じずにはいられない。
正直ガッカリすることが多い。
自分より若い世代を指して、「まったく、この世代はなってないな」と言いがちだが、
その世代を育てるのは上の世代のはずだ。
バブルはまさに虚像だったが、10代20代にその時期を体験してきた我々新人類は
上の世代が育てた世代であり、まさにその虚像社会の申し子だったのかもしれない。
そうしていつものように自分に置き換えてみる。
あー、何となく思い当たる節がある。
心のどこかで華やかな世界を求め、
自分を大きく見せようと虚栄をはってる気がしてきた。
冷静に物事をみる、と言われている今の若い世代の人たちにはあまりない感覚かもしれない。
だが、そういう冷静な世代も我々が育てた、育てている最中の世代なのだが。
いろんな立場、多様な環境、考え方ももちろんみな違う。
確かに世相は段々と変化していく。
だから自分の世代が基準だなんて考え方は全くしていない。
でも、善し悪しの話ではなく、世代間格差ってあるよな、って話。
「お前の主観だけで人の性質を一括りにするな」と目くじらを立てないでください。
そう、ただの“主観”なので。
ちなみに私はいろんな世代の人と会話する事は大好きですよ。