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街のコーヒー屋、街の憩場、街の情報交換所として
存在感を示すべく日夜がんばってます。

スペシャルティコーヒーをもっと美味しくもっと手軽に!
  

      
       
 
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 臨時休業のお知らせ
2015.06.28 Sunday
いつもご愛顧頂きありがとうございます。

急ではございますが、
本日6月28日(日)の営業は18時までとさせて頂きます。
開店時間は変更ございません。

ご迷惑おかけ致します。
よろしくお願い致します。

 
| お知らせ | 01:15 | comments(0) | - |
Posted by : JAY
 補色、脚色
2015.06.22 Monday
視界から消える。
残像が見える。
その残像は実は、そのままの色ではなく補色、つまり反対色で見えてるそうだ。
現実に見えていた色と違う色。
対局の色。

そしてまた、記憶の中の像も次第に現実だった像と違ったもので脳裏に残されていく。

辛い記憶を消そうとする生理現象も手伝って、
それは時に“美化”という変化を起こし、記憶にとどまる。
思い出美化。
また、辛さが度を超えるとそれはトラウマとなって刻み込まれる。
結局印象深いものは、像が変わったとしても記憶に残ってしまう。

ただ、時に過去を“意図的に”美化しようとするときもある。
それはもちろん残像じゃない。
補色でもなくそれは着色、脚色。
でもそれを徹底すると、さも事実であったように残されたりする。
行き過ぎると妄想だ。

先に進むには過去の経験から学習し、そして状況判断しなきゃいけない。
本来ならその経験情報はより事実に近い方がいいはずだ。
妄想を論拠に判断すると、、、ああ末恐ろしい。
どんな結果になるんだろう。


今私の記憶にはどんどん像が溜まっていっている。
もはや整理が出来ない程に溜まっていく。
それが、補色なのか脚色なのかもわからなくなってきた。
飽和してるのかもしれない。

出来る事ならそいつらをどんどん美化して、最後にはバラ色の人生だったと思いたいものだ。
| JAY BLOG | 01:45 | comments(0) | - |
Posted by : JAY
 純粋
2015.06.15 Monday
「純粋になる」。
大人になってこれほど困難な事はない。
少なくとも今の私は純粋なんて言葉は当てはまらない。

だったら子供の頃は純粋だった?
いや、記憶の中の我が幼少期は、よこしまな気持ちで一杯だった気がする。
振り返ると自分が純粋であった事がないのだ。
きっと純粋な人はあらためてこんな事を考える事さえもないんだろう。

そのせいだろうか。
今の私は、“純粋”らしき気持ち、人、行動に強く憧れてしまう。
そして、わずかでもそれが垣間みられると
強烈に惹き付けられてしまう。

それはまやかしかもしれない。
それは気のせいかもしれない。
純粋なんて言葉自体が、架空のものかもしれない。

でも、「それが“純粋”だ」と死ぬまで錯誤を続けていられるなら、
それでもいいのかもしれない。

多分今は、
白くても、白くなくても
それを「白」と思いたいだけなのだ。

 
| JAY BLOG | 01:43 | comments(0) | - |
Posted by : JAY
 mojibake -文字化け-
2015.06.10 Wednesday
数ヶ月前から、投稿記事のタイトルにポルトガル語を入れるようにしている。
大した理由ではないが、随分昔にちょっとだけポルトガル語を勉強した事があり、
完全に忘れてしまうのはもったいないので
こういう機会を利用して思い出そうと始めたのだが、
どうもこのブログ上だと文字化けしてしまって全くわからないものになってしまっていた。

実は何とかしようと、いろいろ試していたのだけれども
正直私のスキルでは太刀打ちできなかった。

で、さすがにこれ以上わけのわからないタイトルを羅列しても不細工さを増すだけなので
ポルトガル語表記は諦める事にした。

伝えたい事、疑問、素直な感情 etc.
やはり途中で違うものに変化させず、伝えたい人にきちんと伝える。
記号じゃ当然わからない。
暗号だったとしても、いちいち解明しなきゃわからない。。。。
あれこれ小細工して、美辞麗句で飾り立てても
本質が見えなきゃ結果意味のないものになる。

ま、僕の文章は元々“何が言いたいのかよくわからない”と言われる事が多いが、
だからこそ、余計わかりやすく伝える努力をしなければならないんだろう。

ただ、少しだけ弁解させてもらうと、
こういう商売上、あまりストレートだと色々角が立つ事と
ネットでの発言は意図せぬ方向に流れる可能性があるので
一応気をつけるようにはしている。

今日の記事も、結局的の絞れぬものになったが
わかってもらえる人がどこかにいるんじゃないかな。

 
| JAY BLOG | 21:49 | comments(2) | - |
Posted by : JAY
 É um tal dia -こんな日は-
2015.06.05 Friday
こんな日は、僕の間違いがなんだったのか考えよう。

雨の日は、どうしてここにいるのか考えよう。

天気がいい日は、あの人の優しさを考えよう。

遊びに行けない日は、ちょっと未来を考えよう。

頭から離れない事がある日は、ずっと先の未来を考えよう。

あれこれ考えられない程忙しい日は、順を追って考えよう。

何も考えたくない日は、仕事をしよう。

考えたくない事は、今はとりあえず考えないようにしよう。

 
| JAY BLOG | 18:22 | comments(0) | - |
Posted by : JAY
 vaga-lume -蛍-
2015.06.03 Wednesday
湿気の多い日が続き、気分があまり上向きにならない時期だけど
闇を幻想的に演出してくれる蛍の光が見られるのはこの時期だけだ。

幼かった頃、祖母の家に毎年のように蛍を見に行っていた。
夜外に出られるというワクワク感と
蛍が飛び交う不思議な光景。
祖母をみると、蛍は見飽きてるのか、
その光よりも、孫達が小躍りしながらはしゃいでる姿を嬉しそうに見ていた気がする。

昔を振り返れば、一つの光景、情景でも自分自身の世代毎にいろんな思い出がある。
例えば、同じ「海」でもいろんなシチュエーションの思い出が蘇ってくる。

でも、私にとって、蛍が飛び交う光景の思い出は、
その祖母との思い出とあと、もう一つだけ。

今はもう時間的余裕がなくなってやめてしまったが、
開業以来数年前まである場所へ、コーヒー用の天然水を汲みに行っていた。
雨が降っても雪が降っても、行くと決めた日には片道小一時間かかる道のりに車を走らせていた。
その道中が、一日のうち唯一自分の時間と言えたのでそのドライブは嫌なものではなかった。

そして、一年のうちで最も好きな時期の水汲み道中が、その蛍の時期だった。
夜、綺麗な水を求め山の中を走るので、当然と言えるほどそこには沢山の蛍が飛んでいた。

夜空一杯に飛ぶ蛍の光。
その中を車で走ると、まるで光のトンネルの中を走ってるような感覚。
傍らの木にとまる蛍は、その木をまるでクリスマスツリーのように光であぶり出す。
さすがにその様は、心を揺さぶった。
本当に贅沢な瞬間。

年によって蛍の発生数は変わる上、
時間がちょっとずれるとなかなか最高の瞬間には巡り会えないけど、
あの光景が頭から離れることはないだろうな。

絶対、絶対忘れない。
 
| JAY BLOG | 01:10 | comments(0) | - |
Posted by : JAY