今日はコーヒーの話は出てきません。
以前、カフェのブログの内容としてどうか、というご指摘、お叱りをいただいた事が何度かあったので
あらかじめお伝えしときます。
カフェらしい記事を期待されてる方々、大変申し訳ありません。
ジャンティークブログはこんな感じです。
・・・・・
あなたに伝わるといいなと思う事。
なんだかんだ言って、人は”比較”の中で生きている。
あの人には負けたくない。
あんな風になりたい。
カッコイイ、キレイ。
私の方がつらい。
あの人の方がきつそうだから、私はもっとがんばらないと。
こんなことしたら笑われる。
こんな格好誰もしてないから恥ずかしい。
社会を作らなければ成り立たない”人間生活”というものは
比較なしではあり得ない。
比較があるから社会常識も生まれる。
社会常識というのは沢山の比較のバランスでできてると思っている。
だから、時代によって世代によって、場所によってバランスの取り方が変わり、
常識が変わる。
現代は個性の時代と言われ、
自分らしさを求め、比較を避けたがる傾向が続いてるが、
もしも本当に比較が無くなったら人間社会が形成できるのかどうか疑問だ。
本当に「ありのまま」だけだったら混沌とした世の中になる気がする。
本当に必要なのは比較を無くすことじゃなく
比較とどう向き合うかを考えることが大切じゃないかと。
比較を止め、好き勝手にやることは本当に求められる個性じゃないと思う。
比較した上で、優劣ではなく“違い”として、どう捉えるか。
そこが大切なのではなかろうか。
とは言え、ついつい人と自分を過度に比較しがちな人もいる。
人の評価を極端に恐れる人もいる。
繰り返しになるけど、比較は避けて通れないし恐いものも仕方が無い。
でも、自分の中だけで勝手にどんどん“何か”と比較してるとしたら、
そしてそれを溜め込んだりしてるとしたら。
それは、その人にとって、とてもとてもしんどい事。
小さなもの、些細なものも長年かけて溜まったら、だんだん処理できなくなる。
まずは、吐き出す。比較や評価は恐いけど、乗り越えなきゃいけない事もある。
おしゃべりでもネットでも、人に触れる形で、少しずつ吐き出してみよう。
簡単な軽作業でも、量がかさばると大変な重労働になってしまうから
都度都度、早めに吐き出すようにしてみよう。
その溜め込んでしまう性格は、長年かけて出来上がったものだろうから
そう簡単には変えられないと思うけど、
あなたの未来のために試してみてもいいんじゃないか、と。