今日は成人の日だそうです。
今のニッポンでは、成人は二十歳から、と決められてるけど
最近では「18歳にしよう」なんて動きもあります。
ま、そういう議論はいろいろな思惑が絡んでくるので置いといて、
この時期「大人になるとはどういうことか」なんて質問を若者に問いかけたりしてる場面を見かける事があります。
選挙権が与えられる、とか
堂々と酒が呑める、タバコが吸える、とか
社会的責任が重くなる、とか
悪い事すると新聞に名前が出る、とか。
ま、我々一般庶民の会話はそんなもんですかね。
でも、最近考えるんです。
法律的、儀式的な成人と未成年の違いを考えるよりも
「そもそも」どうして成人と未成年というジャンルをつくる必要があったのか。
そういう根本を考えたいな、と。
今、特に人と人との関係性で、いろんな線引きが曖昧になり、
いや線引きする事自体に疑義を唱える風潮になってる気がしてます。
婚姻関係や親子関係、恋人との関係
先輩後輩、師弟関係、性別、友人、、、、
社会環境の変化と共にこういったものも変えていかなきゃいけません。
実際過去を振り返っても、その時代によってずいぶんと違いがあるようです。
ただ、人類史上最も文明的に激変しているという説もある現代社会で
今後の人間関係のあり方を話すときに
個々の思想や価値観があまりに多様化して、
落としどころ、不時着点が見つけにくくなってる気がします。
そんなとき僕はよくこういう手法をとります。
「そもそも」論。
個々の目先の権利や欲、たかだか数十年の経験から主張する前に
原点を踏まえて考えないとブレブレの主張になっちゃうんで。
それぞれがそんな風に考えれば
そこまで多様化していかない気がするんです。
あまりに複雑化した世の中に対応、適応していけるほどには
今の人間は優秀になれてない気がするんです。
めんどくさい親父の主張を書いてしまいましたが
新成人おめでとう。