ジャンティークで花見はどうですか?
不器用な生き方しかできないな、とつくづく思う。
逆に器用な生き方がどんなものか、
と問われてもまともには答えられないし、
自分が器用に生きている、と答えられる人もそうはいないだろう。
エスプレッソを抽出すると
その人の性格、個性が味に表れる。
僕が淹れるエスプレッソには
僕が気になる“不器用さ”が出てやしないだろうか。
やっぱりいつも、お客様の反応が気になる。
ただ、反応を気にし過ぎて
こじんまりとまとまった味にはしたくない。
パッと花咲くような、
そして、いつまでも記憶に残るような
エスプレッソを淹れたい。
いつの日か、そんな満足のいくエスプレッソを淹れたい。
不器用に挑戦し続けたい。
裏口に置いてある靴。
裏口の靴置き場は、
屋根はあるのだが基本的には外なので
そこには誰でも出入りできる、言わばとても不用心なエリア。
田舎だからこその在り方なのだが、
時にその不用心さを反省させる出来事が起きる。
ちょっと用事があって、裏口から靴を履いて出かけようとした。
「あれ、なんだか靴が湿ってる」
雨が降っていたので、その湿気か。。。
それとも雨漏りか?
急いでいたので、とりあえず靴を履きかえて出かけた。
用事を済ませ、家に帰ると何やら匂う。
どこかで嗅いだことのある臭さ。
ん?これはまさか!と足の近くを嗅いでみると!
・・・間違いない。
足から猫の尿の匂いがする。。。。
ぁぁぁぁ。
なんてことだ。
猫のやつめ。靴におしっこしやがった。
うちは猫を飼ってないので、どこぞの野良猫だ。
むぅ!怒りと悔しさと悲しさの融合感情!
やり場のない複雑な感情にまみれながら、
「靴はちゃんと仕舞っておこう」と反省した日でした。
中身のないお話にお付き合いいただきありがとうございました。
どこにも“やり場”がなかったものですから、こちらに書かせていただきました。
心の形。
心にはきっと形なんかない。
でも、形なき心はいろんな表情を見せる。
ドキドキ、ワクワク。
ズタズタになったり毛が生えたりもする。
痛みも覚えるし、震えることもある。
心の正体はきっと頭の中にあるんだろうけど
昔の人はさすが、ココロを見事“心”と書き表した。
“心臓”をかたどる象形文字から出来上がった“心”。
何か大事が起きると、なるほど心臓の鼓動が激しくなる。
2年前の今日、
誰もが心の置き場を失った。
被災された方々は、今も癒えない心の傷と闘い、
心の痛みに耐えている。
凄まじい出来事。
一人の心じゃ支えきれない出来事。
一人にしちゃいけない。
だから、心を繋いで一つにしなければ。
形ないココロだからこそ
繋ぐことができる心。
ぽっかり空いた心の穴を
無限のチェーンリングのように繋げられたら。
Jantique、tumblr(タンブラー)ブログを始めたよ。
って、“tumblr”はあまりなじみがないかもしれないけど、
実際作ってみて、「なかなか良い」印象。
まだどう使っていくか考え中。
ま、ちょっと覗いてみておくんなさいませ。
http://jantique.tumblr.com/