今年も残すところ数時間となりました。
まだ3rdの営業を本格的に再開して二週間ほど…
このわずかな期間に、たくさんの方に来て頂けて本当に嬉しく思います!
美味しかったの一言とても励みになります。
2012年…jantique3rdを支えて下さった皆様、本当にありがとうございました☆
来年も宜しくお願い致します!
良いお年を♪
JAYです。
Jantiqueをオープンする準備段階からずっと世話になり続けている方々。
彼らは陶芸を生業としている。
田町店のテーブルに彩りを与えてくれたり、
キッチンに使ってたメニューボードにもなったり、
そして、3rd店では随所でその作品らが光っている。
ありがとうございます。
急な話だが、そんな彼らの作品展を3rd店で開催することになった。
その名も
-GIFT-
kaneko Ai
と
kaneko Nozomu
兄弟である彼らの「冬の贈り物」をテーマにした作品を展示販売中。
年明けまで。
敬虔な信仰とはかけ離れた次元で盛り上がるクリスマス。
いやいや、決してそういう風潮を否定するような話をする訳じゃない。
クリスマス以外でも、
いわゆる“祭事”であるfestivalと“催事”のeventの区別もしないこの国だ。
商業的な意味合いばかりが強くなっても、
「ま、いいか」と流してみよう。
で、流したところで、クリスマス。
幼い頃から「特別な日」であるということだけを刷りこまれてきた、
平均的日本人の私は、
本来の意味合いとは全く違う用途でこの言葉を使ってきた。
「プレゼントが届く特別な日」として、「Merry Christmas!」と叫び、
少し成長すると、
「友達と騒げる特別な日」として「Merry Christmas!」と叫び、
大人になった頃には
「特別な人と過ごす特別な日」として「Merry Chrstmas!」と囁き、
妙に世界について考え出すと
「平和を願う特別な日」として「Merry Christmas!」と唄った。
でも、いつの時代の私も、人の為に「Merry Christmas」と口にするよりも
どこか“自分に向けてほしい”と願うひとりよがりの気持ちが強かった。
情けないことだけど。。。
が、最近の私。
ちょっとずつ齢を取ったからなのか、余裕が出てきたからなのか、
この言葉を発した相手には心から「素敵な日であって欲しい」と思っていることに気付いた。
「ありがとう」や「ごめんなさい」、「お幸せに」etc.
素直に言えてるな、と感じてる。
みなさんにとって、
この「特別な日」だけじゃなく毎日が「素敵な日」でありますように。
Merry Christmas!
資本主義の世界では独占を禁止する法律がある。
独り勝ちは危険な方向に進む可能性があるそうだ。
独占。
でも、人は独占したがる。
富を、権力を。
そして人の心も。
市場経済でははっきりとした法律で制限されているようだが、
一般社会でもそれっぽいものはあるようだ。
独占はやっぱり問題あるみたい。
だけど、弱い私は
強いものに抱かれていると、どこか安心感を覚えることもある。
巨万の富を抱えている人に近づくとおこぼれを期待してしまう。
“独りよがりのの愛”を“誠実”と感じることも。
「占」は「心」の意を持つそうだ。
あまりに強い力は、心まで支配してしまうのか。
独占が始まると、する側もその対象側も安定するかもしれないが
危険なコントロールが容易になる。
危険かどうかも分からないまま、気が付けば突き進んでることもある。
なんと人の世は危ういバランスで成り立っているものだな。
心のバランスは、
世の中より速い周期で毎日毎日フラフラするけれど
心の中は独占されないよう、開放的でありたい。
気を付けよっと。