尊厳
2016.05.29 Sunday
尊厳とは何だろう。
そんな事を真剣に考えてしまう日々がもうずいぶん続いている。
ありがたいことに、この現代に、そしてこの国に生を受けた者として
その尊厳は与えられている、らしい。
だが、与えられているはずのその尊厳も時に自分でそれを行使できない。
と、もっともらしく書きながら、そもそも私は尊厳の意味するところを理解できていない。
また個人個人の尊厳が意味する事はそれぞれ違っていたりするので、
あらためて考えると何となくぼやけている気がする。
尊厳とは?どうすればその尊厳を自分に備えさせられるのか?
実際勉強不足の私が付け焼刃で考えたところで、もちろん人を納得させる説明はできやしないだろう。
それでも、そんな難しい事を考えさせられてしまう出来事が、身の回りでは起こってしまう。
友が逝った。独り身に戻って、生を受けた母にまた支えられながら。
友が逝った。たった一人で病と戦い続けて。
友が逝った。その瞬間まで自分が召されるとは思いもせずに。
友が逝った。遠い異国の地で命が尽きた、と。
そしてまた、友が逝った。最期まで愛する人たちの事を強く深く案じながら。
夢かと思うくらい次々と逝ってしまった彼ら。
医者であろうと、法律家であろうと、カフェのマスターであろうと
遅かれ早かれ、いつかは誰もがその道を辿る事はわかっているけれど、
自分の中でその事実を噛み砕いていくキャパを超えている。
だが、だが。超えてはいるが、それでも目を背けずにしっかり考える事が自分の責務だと思うようにしている。
先に逝った彼らは自身の尊厳を感じていただろうか。
私は生きる彼らを尊重できただろうか。
私自身は、逝くその時まで生きていて(当然だが)、私の尊厳は守られるだろうか。
と言いながら、その守ってほしい、私の思う尊厳が何なのか、今は見えていない。
だから考える。
どうしようもなく考えさせられてしまう。
重いけど考える。そして書く。
カフェのブログなのに、書く。
カフェの従事者であるには、まず人として考えるべきだからだ。
そして、、、
らしくないがこれが弔辞。
この町で、同級生でただ一人同じ業界にいた彼への弔辞。
じゃ、また。お疲れさん。
そんな事を真剣に考えてしまう日々がもうずいぶん続いている。
ありがたいことに、この現代に、そしてこの国に生を受けた者として
その尊厳は与えられている、らしい。
だが、与えられているはずのその尊厳も時に自分でそれを行使できない。
と、もっともらしく書きながら、そもそも私は尊厳の意味するところを理解できていない。
また個人個人の尊厳が意味する事はそれぞれ違っていたりするので、
あらためて考えると何となくぼやけている気がする。
尊厳とは?どうすればその尊厳を自分に備えさせられるのか?
実際勉強不足の私が付け焼刃で考えたところで、もちろん人を納得させる説明はできやしないだろう。
それでも、そんな難しい事を考えさせられてしまう出来事が、身の回りでは起こってしまう。
友が逝った。独り身に戻って、生を受けた母にまた支えられながら。
友が逝った。たった一人で病と戦い続けて。
友が逝った。その瞬間まで自分が召されるとは思いもせずに。
友が逝った。遠い異国の地で命が尽きた、と。
そしてまた、友が逝った。最期まで愛する人たちの事を強く深く案じながら。
夢かと思うくらい次々と逝ってしまった彼ら。
医者であろうと、法律家であろうと、カフェのマスターであろうと
遅かれ早かれ、いつかは誰もがその道を辿る事はわかっているけれど、
自分の中でその事実を噛み砕いていくキャパを超えている。
だが、だが。超えてはいるが、それでも目を背けずにしっかり考える事が自分の責務だと思うようにしている。
先に逝った彼らは自身の尊厳を感じていただろうか。
私は生きる彼らを尊重できただろうか。
私自身は、逝くその時まで生きていて(当然だが)、私の尊厳は守られるだろうか。
と言いながら、その守ってほしい、私の思う尊厳が何なのか、今は見えていない。
だから考える。
どうしようもなく考えさせられてしまう。
重いけど考える。そして書く。
カフェのブログなのに、書く。
カフェの従事者であるには、まず人として考えるべきだからだ。
そして、、、
らしくないがこれが弔辞。
この町で、同級生でただ一人同じ業界にいた彼への弔辞。
じゃ、また。お疲れさん。